防衛大学校から航空自衛隊へ配属。航空分野の道へ
子どもの頃はサッカーばかりやっていました。オリンピック強化選手に選ばれたこともありましたが、高校時代に柔道の大会でケガをしてサッカーの道が途絶え、この先どうやって生きていくかまったく見えなくなり、「自分の人生はここで終わりかな」とまで思いつめた時期も。その頃アルバイトをしながら予備校に通っていたのですが、可愛がってくれたバイト先のオーナーが「学問をしっかりやりなさい」と言ってくれて、ようやく勉強しようという気になりました。予備校の先生からも「防衛大学校はどうだ」と薦められ、急遽受験したら、うっかり合格してしまったのです。当時は、湾岸戦争勃発のころ。映画トップガンにも影響されて、首から下で何かご奉仕できたらという純粋な思いもありました。
防衛大学校卒業後は、航空自衛隊へ配属。浜松市にある航空整備士を養成する「第1術科学校」で、航空機整備を一から学び、現在に続く道の第一歩が始まりました。
その後、戦闘航空団で戦闘機の整備部隊を経て、埼玉県の入間基地にある大型輸送機を扱う部隊へ。民間機にも興味がわくようになって、上司から政府専用機の一等航空整備士の資格を取らないかという話があり、日本航空に2年半ほど出向しました。ここでは一等航空整備士の資格を取るだけでなく、民間企業の整備・組織体制などもしっかり学ぶことができ、いい経験になりました。
東日本大震災発生後に迎えた、外資系民間企業への転身
当時、防衛省は政府専用機の整備士教育を日本航空に委託していました。けれども2010年、日本航空が経営破綻。その後の教育体制を整えるべく、防衛省で航空自衛隊に航空整備士を養成する整備訓練センターをつくる構想策定事業に携わっていた頃、2011年3月11日を迎えました。
未曾有の地震発生後、横田基地にある在日米空軍司令部に異動を命じられました。そこでは災害救助・救援および復興支援を活動内容とする「オペレーション・トモダチ」に参加することになりました。主に東北地方の救援救助に関し米軍サイドから自衛隊との調整業務に携わったのですが、このときの経験は生涯忘れることができないほど心の楔となり、大きな転身の引き金ともなりました。
そんな折、ある方から「自分の力を発揮しないか」と誘われ、民間の外資系企業へ転籍。ここでは戦略的な経営立案業務にも携わり、自分がやったことの成果が、報酬につながるという民間の企業活動を実感しました。
国産航空機を飛ばしたい…そう考えていたとき受けた運命的なオファー
外資系民間企業でのミッションが終わり、国内の大手IT企業にいるころ、次は国産航空機の開発に携わりたいと考えていました。国産航空機は防衛部門では製造されてきましたが、民間ではまだまだ。民間の航空分野で何かお手伝いできればなと思っていた矢先、ヒロボー株式会社からのオファーが舞い込んできたのです。
ヒロボーが小型の電動ヘリコプターを開発しているとはそれまで知らなかったのですが、「メイドインジャパンのものを飛ばしたい」と思っていたタイミングにこの話を受け、正直衝撃を受けるほどぞくぞくしました。
国産航空機を飛ばしたいという思いと共に、私の胸の中に強くあったのが、3.11の際に救うことができなかった、たくさんの命のことです。「どうにかして救ってあげたかった」と、防衛省退官後もずっと考えていたのですが、ヒロボーの社長(※当時)と初めてお会いしたとき、この点において思いが一つだったことが、何よりも運命的でした。
ヒロボーは独自の技術開発によりラジコンヘリコプターで世界トップシェア40%を占める企業なのですが、2012年に発表したのが、一人乗り電動ヘリコプター「bit」。これはホビーという枠を超えて、エアタクシーや災害、防衛、輸送などあらゆる場面で人命救助を支援しうる製品です。たとえば被災してしまい、電話もつながらない、誰も助けてくれないとき。ヒロボーの「bit」が自分の目の前に無人で救援に飛んできたらどうでしょう。「助かるかもしれない!」と思いませんか?実際の災害現場を数多く見てきましたが、道路は分断され、水道管からは水が吹き出し、電線はバチンバチンと火花をちらし、ガスは漏れていて引火の危険性がある。その中でエンジン付きの機体を飛ばしたら、ドカーンと爆発するのは目に見えています。「電気動力で、かつ、防爆性を持たせて災害現場に近づけるようにする」といった構想を社長(※当時)から聞いた瞬間、私は本当に目を見張りました。ヒロボーのヘリが災害時に出動して、街を、人を救うことで社会に貢献したい。そんな社長(※当時)の志に共感し、ただちに広島へ行く決意が固まったのです。
電動ヘリコプタービジネスを推進する主軸メンバーとして広島へ
実際に広島に来て、とくに地方で働く不安は感じませんでしたね。自分でできることは、自分の中でしっかり理解しています。それ以上できると言っても仕方ないし、私ができることで会社のお役に立てればという思いだけです。
プラスチックの成形事業を行うヒロボーは、ラジコンヘリコプターの世界トップシェアメーカーです。小型ヘリコプターの同軸二重反回転式という開発技術は世界でおそらくトップクラス。尾部の回転翼が不要なことでコンパクトな設計を実現しています。非常にニッチなところをたくさん研究していて、小さな機体で安定した機動性を実現している強みがあります。社員は皆真面目。ヒロボー一筋で働いているので、製品に自信と誇りを持っています。あと少しやり方や考え方を変えることでもっと視野が広がり、世界が広がると思っています。
経営自体に携わるのは、前職でも経験済み。防衛省でも予算を立てどう執行していくか、当年度予算、中期、長期の計画を担ってきました。産業用ヘリコプター部門のビジネス拡大推進を睨み、今は何から何まで全てやろうと思っています。国へのアプローチをはじめ、アメリカ航空局の認証をどう取るかなど、まだまだ課題はたくさんあります。
リーダーとしては、密かに冷汗をかきながらも、どんなときも常に笑顔でいたいです。リーダーが不安な顔をしていたら、誰もが「無理なのでは」と思ってしまうので。防衛省はけっこうシビアな世界で、口に出して言えないような経験もたくさんありました。ただどんな局面においても、諸先輩方から「指揮をとるときは笑顔で」と言われ続けてきたことが、今思い起こせば身体にしみついている気がします。
航空人材育成を担う、航空教育都市構想推進協議会を発足
震災で頓挫してしまっていた航空自衛隊の整備訓練センターの案件ですが、2013年に同期から相談を受けたことがきっかけとなり再び取り組むこととなりました。当初、「航空業界への恩返し」という思いでボランティア活動としてスタートしました。今では、地方自治体も巻き込んだ大きな波となってきています。それは、静岡県浜松市を中心に航空技術者を養成する国立大学を作ろうという構想。2016年7月には、一般社団法人日本航空教育都市構想推進協議会(JCAPI)を立ち上げることになりました。
現在日本はパイロットや航空整備士が不足し、いまや海外から人材を呼び寄せているほどです。今後アジアを中心に航空機の需要が増えていくとなると、多くの人材が必要不可欠なのですが、莫大なお金がかかるため航空に特化した大学はなく、育成までまかなうことができないのが現状。国産航空機を作るにしても技術者不足が深刻です。浜松はもともと航空自衛隊の航空整備士養成学校(第一術科学校)があり、その歴史やノウハウがあるうえに教官が多く在住している土地。そんな好条件をベースに、地方創生と日本の航空技術の発展を担う、航空技術大学を作ることを目指しています。この構想に関しては、広島県府中市においても無人機関連の学部や研究機関の誘致活動に展開しており、ヒロボーを中心とした地域産業の発展も視野に入れて活動しています。これらの事業を通じて我が国の航空業界や地方が元気になることを願っています。
地方から、航空産業から、日本の経済発展につながる大きなうねりを
人材を育成しながら、技術を蓄えつつ、日本の経済発展につなげていく…。そんな一連の流れが、ここヒロボーにいることで達成できるのではないかと確信し、将来に期待しています。
航空産業は国策として、今後の国の発展を担う「新成長産業」に指定されている分野。私たちが日々取り組む活動が、将来へと活きてほしい。次の世代へ、未来へとつながってほしい。広島や浜松といった地方から大きなうねりとなって、国の力になればと思っています。
ヒロボー株式会社 執行役員 副社長
星 尚男
熊本県出身。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に配属され航空機整備の道へ。政府専用機部隊を経て、2011年東日本大震災時、日本の復興を助けた米軍オペレーション・トモダチに参加後、外資系民間企業へと転身。2016年12月、広島に本社を持つヒロボー株式会社・副社長に着任。静岡県浜松市及び広島県府中市における航空教育都市構想を推進するJCAPIの中枢メンバーとしても活動中。