「東京の歯車ではなく、地方の心臓に」。そんな想いを描き、都会のビジネスパーソンが地方企業に転職する時代が訪れている。本編では、「地方企業の経営幹部」という働き方の魅力を、実際に地方企業で活躍する右腕人材や、企業経営の真剣勝負に挑むオーナー経営者たちを紹介する。
マイヤは、1961年創業の、東北・三陸エリア有数のスーパーマーケットチェーン。東日本震災で6店舗が被災したが、6年をかけ2017年に(仮設を含めた)建て直しが終了。現在は子会社を含め、岩手県と宮城県に18店舗を展開する。
社内のコミュニケーションが密に
――首都圏を中心としたスーパーマーケットチェーンを展開する上場企業の役員だった方が新社長に就任されました。その後の活躍はいかがでしょうか。
米谷:大変、精力的にスケジュールをこなしてくれています。喜んでいるのは、パートを除く社員210人と30分ずつ、半年かけて個別面談を行ってくれたことです。これは私にはできなかったこと。コミュニケーションを密にしてくれています。
――コミュニケーションが密になったのは、具体的にはどのような部分でしょうか。
米谷:私が方針等を示す場合には、トップダウンとして受け取ると思います。オーナーという立場もありますから。私は創業者の息子ということで、44歳で2代目の社長になりました。当初は、社員とも一緒に飲みに行くことも多くありましたが、今は飲みに行こうかと誘っても尻込みされます(笑)。そういうことを考えると、そろそろ引き際かなと思っていたのです。
――社員の皆様には、新しい社長を迎えることを、どのように伝えたのですか。
米谷:みんな想定外だったと思います、唐突だし、戸惑いもあったはずです。彼は入社当時51歳でしたが、うちの管理職の平均年齢は52歳で勤続年数も長いのが多い。しかも、東京の上場企業から自分たちより若い社長が来るということに抵抗や警戒感もあったでしょう。ただ、フランクな人柄なので、徐々に取り除かれていったと思います。
――社長を退任されるということには、大きな決断が伴ったと思います。
米谷:2~3年前から考えていたことです。流通業の環境が激変してしまいました。ITもどんどん進化していく。全体のパイが縮小する中で、それでも業績を上げていかなければいけない。自分自身の能力を知っているだけに、「新しい感性が必要だ」と思ったわけです。2011年の東日本大震災の発生で、店舗の4割が被害を受けました。
6年かけて仮設を含め13店舗の建て替えが昨年4月に終わりました。そのタイミングで新たに、承継に出ていこうと思ったわけです。それに、内規で社長の定年を70歳と決めていました。オーナー企業ですから、いくらでも変えられるのでしょうけど、やはり自分で決めたことは守ろうと。
「ヒラメ型社員」を変えたい
――外部から社長を呼ぶということを決断されたのは。
米谷:もちろん、長男を含めて内部昇格を優先に考えました。ただ、結論としては尚早かなと。長男は41歳なのですが、まだ早いなと思いました。他の役職者等も検討した結果、内部には候補がいないと判断しました。
――首都圏で活躍していた人材ということについてはいかがでしょうか。
米谷:首都圏に執着していたということはないのですが、「井の中の蛙」ではいけないと思っていたことも事実です。三陸出身の社員たちは(当地でナンバーワンの)マイヤは永久不滅だと錯覚しているところもあります。置いていかれないために新しいことを学ばなければならない。「新しい感性」「グローバル」「1~2段階若い」「人間性」というところが、新しい社長に必要な要素だと考えるようになりました。
――地域のオーナー様の中では、どうやって首都圏の人材を口説いているのだろうという方がいらっしゃると思います。
米谷:何度か会う中で能力や人間性を確認して、最後だけ一生懸命口説きましたね。人間として気に入っていましたし、年齢や考えも含め、彼がいいと思って必死に思いを伝えました。
――新社長の井原良幸さんからは、「何ができる」「何をしてほしい」とかではなく、会長から「あなたに来てほしい」と言われたことが印象的だったと聞いています。
米谷:何ができるかとか、そんな上からの物言いはしませんね。そもそも、できると思っているからこそ、口説き落とそうとしているわけですから。当社にはいいカルチャーもあれば、悪しき部分もあります。悪しきところの一つは、いわゆる「ヒラメ型社員」(上ばかり見ている)です。26年、社長兼オーナーという形でやってきました。みんなが私の顔をうかがってしまう。私に直言できる社員がいません。何とか変えて、主体性を持って仕事をするようにしていかなければいけないと思っていました。そして、新社長に対してはみんな直言できるようです。組織作りとしては一歩進んだと言えるのではないでしょうか。
事業は人によって成り立つ
――全国に同じような問題意識を持っているオーナーがいて、外部から人材を採用しようか迷っています。
米谷:私自身が44歳で社長になった際に、家族を役員から外して、社員から6人を登用したのです。家族経営から企業経営にしました。事業は人によって成り立つのですから、家族であっても生え抜きであっても、足りないと考えれば他の人を入れるということはずっと考えてきたことです。
――本当にお手本のような考え方です。
米谷:ただ、誤解のないようにしたいのは、生え抜きの能力がそんなに落ちるわけではないということです。私のオーナー経営者という立場が、それをうまく引き出して来られなかったということなのです。新しい社長には、そこを引き出してほしいですし、外部だからこそ見えるところがあろうかと思います。当たり前すぎて強みだと思っていないところを、外部の目で伸ばしていってほしいと思っています。
マイヤ 代表取締役会長
米谷春夫(まいや はるお)さん
1947年、岩手県生まれ。青山学院大卒業後、大繁盛店だった三重県内のスーパーで3年間働いた後、73年に現在のマイヤの前身となる(株)主婦の友社大船渡店に入社する。 78年マイヤ専務取締役、91年に同代表取締役社長、2018年同代表取締役会長。14年には「優秀経営者賞(災害復興支援賞)」(日刊工業新聞社)を受賞。