※この記事は2019年2月に掲載された記事の再掲となります。
EC(電子商取引)システム構築を手がける株式会社アラタナは、宮崎生まれ。これまでに手掛けたECサイトは800件以上にのぼり、2015年にはファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOグループへの参画も果たした。地方企業がいかにしてここまでの成長を遂げたのか。今回は、同社のCEO濵渦伸次さんに、起業から現在に至るまでの経緯と、地方で働く魅力についてうかがった。
同級生と起業。資金調達で大きな成長を遂げる
株式会社アラタナのCEO、濵渦伸次さんは、宮崎の都城工業高等専門学校を卒業後、東京のリコーに入社。カメラが好きで入社を決めたにもかかわらず、配属されたのはコピー機の部署だったことから、3ヵ月で退社し宮崎にUターンした。
「田舎はかっこ悪いと思っていて、宮崎はあまり好きではありませんでした。東京に憧れて就職したわけですが、外に出たら宮崎の良さに気づいたのです。」
しかし、実際に宮崎に戻ると、高専時代のクラスメイトで残っていたのは、濵渦さん以外にもう1人だけ。宮崎の税金で育った人間が宮崎に残っていない現実に危機感をおぼえた濵渦さんは、宮崎を出ていった仲間たちが返ってこられるような大きな会社をつくろうと、2007年、同級生と一緒に起業した。
株式会社アラタナ 代表取締役社長 濵渦 伸次さん
最初はデザイン事務所とカフェを経営していたアラタナ。しかし、カフェが半年で潰れてしまい、借金をつくることに。その返済に、濵渦さんは、さまざまなアルバイトを掛け持ちして働くことになった。そんなある日、アルバイト先の社長にすすめられて、ネットショップを始めることに。「それがものすごく売れまして。地方でもチャンスがあることに気づかせてもらいました。可能性を活かして自分でも起業できないかと思うようになりました。」
アラタナが起業した2007年の翌年、2008年から2009年にかけてはリーマンショック、東日本大震災と続き、アラタナの10年間は市場として、けっして恵まれていたとはいえない。そのようななかでも、10年の間に、ベンチャー企業や地元銀行のキャピタルなどから9億円ほど資金調達を実現した。
当時、ECサイトを作るには、初期投資で1000万円以上かかったが、アラタナは初期費用不要、月額5,800円というクラウドで提供するようにしていた。当然、回収までに時間がかかる。そこで、回収するまでの資金繰りが必要だったのだが、融資だけでは足りず、ベンチャーキャピタルの方々に熱く話をして、資金調達を重ねていったという。「初期費用をもらわない代わりに、付き合ってもらいやすいので、回収が立ちやすいビジネスモデルだったんです。」と濱渦さん。
ZOZOの前澤社長との出会い。そして、ZOZOグループに参画
そんなアラタナは、2015年、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するZOZOグループへの参画も果たすことになる。
『「ZOZOBASE」という物流倉庫を見た時に、彼らには勝てないなと思ったんです。だから一緒にやりたいと思った。そこで「ZOZOBASE」を使って自社ECを支援するという方向にかじを切ったのが3年前ですね。
「ECサイトのシステムだけではなく、物流もサポートしていかなければならないというタイミングでした。自分の知り合いの経営者に「前澤社長に会ってみたい」とお願いしたんです。僕もファッションが好きでしたし、当時「ハニカム」というWEBマガジンの運営もしていたこともあって、前澤社長も興味を持ってくれたのか、会う機会をもらえました。」
濱渦さんは、A3のペラの事業計画を作り、「自分たちはこういうことができます」と、いきなりに前澤社長にぶつけた。
「『ZOZOBASE』という物流倉庫を見た時に、彼らには勝てないなと思ったんです。だから一緒にやりたいと思った。僕らと組んだらこういう良いことがありますよと、想いをぶつけました。前澤社長は話を聞いてくれて、「一緒にやろうよ」といってくれたんです。」
「子会社化は、社員にとっても大きなこと。もちろん、反対意見もありました。しかし、結果的に、ZOZOグループに入った今の方が確実に成長できていると思うし、みんなも楽しく仕事ができていると思います。」
ZOZOグループに入って、最もよかったことは、付加価値を重視したビジネスモデルに切り替えられたことだと、濱渦さんはいう。
「地方は、どうしても労働集約型になりやすい。僕らはそこから脱却したかったのです。東京と同じ仕事ができているのに、地方であるがゆえに給料が安いことに納得がいかなくて、社員の初任給を18万から25万に大幅に上げたりもしました。そういったチャレンジによって、付加価値を上げることができたことが、アラタナの成長につながったのだと思います。」
宮崎は大好き。でも、地域貢献が目的ではいけない
濱渦さんが、宮崎から拠点を動かさないのは、意外にも、宮崎の経済を活性化させたいという想いからではないのだという。むしろ、宮崎のために仕事をしているという意識はまったくない。
「どこでもビジネスできるということは、どこでもライバルがいる環境だということ。勝ち残っていくことが一番の目的になるべきだと思う。今、僕はアラタナがすごく好きで、ZOZOが大好きで、会社を大きくして、雇用を大きくして、「“結果的に”地域に貢献した」と言われるぐらいがちょうどいいなと思っているんです。」
ただし、宮崎が好きなことには変わりがない。一度外に一回出たことで、育った場所が好きという気持ちはより強くなり、恩返しになるようなプロジェクトを手がけている。
サーフィン後に出勤する社員たち。副業もOK
アラタナでは、自分を成長させるための副業はOKにして、勤務時間もフルフレックスを目指している。
「働きたい時に働くことが、最もパフォーマンスが高いと思っています。朝サーフィンして出勤する人も多いし、宮崎は自分のライフスタイルもつくりやすいんです。東京並みの給料がもらえて、通勤は10分程度ですよ」
「宮崎はコストが安いからどうぞ、というのはいいたくない。自分たちを安売りしてうまくいく事業なんてない。」
地方企業のアピールポイントは、「安い」とは違う部分にあると、濱渦さんはいいます。
「地方のベンチャーの一番のネックは、コストの安さに甘えること。コストが安いぶん給料は多くなるはずなのに、コストが安いから人のコストも抑えてしまう。それが、ベンチャー企業が育たない一番の理由だと思うのです。価値のあるものを作って提供しているのであれば、その対価はもらうべきです。」
濱渦さんは地方創生で大切なのは、安売りをしないことだといいます。安売りしなければ、もっと良い人が来る。
「シリコンバレーにスタンフォード大学があり、そこにGoogleが生まれたように、行政は企業誘致よりも、良い大学を作り、良いベンチャー企業を育てるほうが地域活性化につながるのではないでしょうか。」